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トップは948球 夏の甲子園で最も“球数”が多かった投手は?

2019 8/14 06:00浜田哲男
甲子園ⒸSPAIA
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年々高まる“球数”を巡る議論

連日、熱い熱戦が繰り広げられている全国高校野球選手権。白球を追う球児達のがむしゃらなプレーには胸を打たれる一方で、近年特に問題視されているのが“球数”だ。昨年12月には新潟県の高校野球連盟が、投手1人の投球数を「1試合当たり100球」と定める新ルールを提唱。これには様々な意見が集まり、中には賛成の声も多く見られたが、結果的に撤回されている。

また、夏の甲子園出場をかけた岩手大会では、プロ注目の大船渡・佐々木朗希が決勝のマウンドに登板せずに、あと一歩のところで敗退。決勝前日の準決勝で9回129球を投げた佐々木の身体を考慮し、国保陽平監督が下した決断だったが、これにも賛否両論が渦巻いた。

今でこそ選手の肩・肘を守るという観点から、球数に対しての注目度が高まっているが、過去には一人の投手が連日に渡って最後まで投げきることが当然という風潮があったし、「それこそが高校野球」といったイメージも強かった。今でも、そうした風潮がなくなったというわけでもないだろう。一方で、チームのため、各都道府県の代表として地域のため、マウンドで仁王立ちし最後まで投げ抜く姿に心が打たれることも事実だ。

今回はそんな球数に注目し、1990年以降の夏の甲子園において、投球数が多かった投手をランキング形式で紹介する。

伝説として語り継がれる名投手達がランクイン

ランキングを見るとかつて甲子園を沸かせた数々の名投手が名を連ねている。特に2位にランクインした金足農・吉田輝星投手は、金足旋風とともに大きな話題となったことは記憶に新しい。

夏の甲子園における投球数ランキング

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1位はハンカチ王子の異名で一世を風靡した斎藤佑樹(現日本ハム)。駒大苫小牧・田中将大(現ヤンキース)と投げ合った延長15回の死闘、再試合は今や伝説だ。2位は斎藤と同じ日本ハムへ入団した吉田。夏の甲子園での東北勢初の優勝をかけ、最後まで力投した姿は多くの反響を呼んだ。

3位は平安・川口知哉。決勝で惜しくも智弁和歌山に敗れたが、左腕から繰り出す大きなカーブと140km台の直球を武器に同校を準優勝に導いた。4位は、縦・横2種類のスライダーやカーブ、チェンジアップを織り交ぜる多彩な投球で、三重を準優勝に導いた今井重太朗。5位には、沖縄初となる優勝校・興南のエースとして活躍した島袋洋奨(現ソフトバンク)が入った。

そして、決勝戦でノーヒットノーランを達成するという快挙を成し遂げ、平成の怪物と騒がれた横浜・松坂大輔(現中日)も782球を投げて6位に。その松坂と決勝の舞台で投げ合った京都成章・古岡基紀も10位となっている。

閉会式で曲がったままの右肘

球数にまつわる伝説は数あれど、多くの高校野球ファンの脳裏に深く刻まれているのが、7番目となる773球を投げた沖縄水産・大野倫の姿ではないだろうか。

沖縄水産は1990年に夏の甲子園で準優勝を果たし、沖縄初となる悲願の優勝に最も近づいた。そしてその翌年、同校のエースとして沖縄県民の大きな期待を受け、ボロボロになりながらもマウンドで投げ続けたのが大野だった。

決勝の大阪桐蔭戦までの6試合全てで完投し、3回戦以降は4連投。試合毎に落ちていく球速、徐々に下がっていく肘…大阪桐蔭打線に13点を奪われても、大野は最後までマウンドに立ち続けた。閉会式で曲がったまま動かない肘はあまりにも痛々しく、後日の診断により右肘は疲労骨折であったことが判明した。

当然チームは勝利を最優先に考える。しかし、“その後の投手生命”という観点でみると、甲子園で連投してプロの世界でも息長く活躍した投手は少ない印象だ。高校野球における投手の球数制限、大会日程については、甲子園の在り方も含めて真剣に考えていかなければならない。球数の問題は、勝利と投手生命との狭間で、今後も様々な議論が続いていくことだろう。

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