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腹切り発言の開星・野々村直通監督がキャンバスに描く夢「また注目されたい」

2022 6/21 06:00柏原誠
開星高の野々村直通監督,ⒸSPAIA(撮影・柏原誠)
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ⒸSPAIA(撮影・柏原誠)

画家に転身、島根県松江市で個人ギャラリー

あの「ヤクザ監督」は表情ひとつ変えずに、筆を走らせていた。70歳とは思えない集中力。仕事として請け負っていた表札を彫刻刀で手彫りし、慎重にジリジリと墨を入れていた。

島根県松江市。国宝・松江城を仰ぎ見る官公庁街の一角、地元の新聞社が入る大きなビルのテナントに開星・野々村直通監督(70)のギャラリーはあった。よそから来た通行人がパッと中をのぞいても、あの野々村監督だとはなかなか気づかないだろう。

「昔、このビルは百貨店だったんですよ。向こうの駐車場の方が本館でこっちは新館。渡り廊下でつながっていました。繁栄の証しというかね。島根の百貨店はここだけじゃなかったかな。(隣接する鳥取西部の)米子にはあったと思うけど。屋上には小さな観覧車があったり、10円入れたら動く乗り物があったりね。パラダイスでしたよ。ここは中心街だった。この向こうが県民会館だったり、県庁ですから。今の、そこの県民会館の前がバスのロータリーでみんなそこに集まってバスが全国に出て行くんですよ」

幼少期からなじんだ風景は少し変わったが、野々村監督はここで再び「高校野球の監督」としての日々を過ごしている。午前中は似顔絵などの仕事をこなし、午後3時ごろにギャラリーを閉めて、車で3キロほど離れた開星高のグラウンドへ移動する。

批判殺到した「腹切り」発言

「まさかの」復帰から2年以上が経った。まもなく復帰して3度目の夏を迎える。「まったく考えてなかったですよ。もう野球は終わり。学校にも野球にも未練はなかったですから」

20年3月、前監督の不祥事により突然、白羽の矢が立った。定年退職から8年が経っていた。「絶対にやりません」。学校側からのオファーは当然断った。総監督や相談役といったポジションなら…と妥協案を示したが何度も懇願され、折れるしかなかった。

野々村監督と言えば「腹切り」発言である。2010年のセンバツで21世紀枠の向陽(和歌山)に1点差で敗れた。糸原健斗(現阪神)、2年生の白根尚貴(元DeNA)を擁して前年秋の中国大会で優勝。初の全国制覇を目標に甲子園に乗り込んだが、まさかの敗戦。ショックのあまり試合後、数分間も沈黙した。

何とか絞り出したのが「末代までの恥です。腹を切りたい」という言葉だった。インパクトは大きかった。

それ以上に批判の声が殺到した。辞任に追い込まれた。1年後に復帰し、3年生になった大黒柱の白根を擁して夏の甲子園にカムバックした。1回戦は柳井学園(山口)に5-0で快勝。2回戦で優勝した日大三(西東京)と打ち合いの末に8-11で敗れた。好投手の吉永健太朗に、相手を上回る15安打を浴びせた。

「あの日大三といい試合ができてね。もう最高の花道だと思いました」。翌年3月に定年退職。春2回、夏7回の甲子園出場という成績を残し、完全に高校野球界から姿を消した。

「やるからには結果出さないと男じゃない」

定年から約3年後に念願の個人ギャラリーを開いた。もともとは広島大の教育学部美術科で油絵を専攻。高校では美術教師として監督業を務め「山陰のピカソ」とも呼ばれた。

生徒に教えるのも嫌いじゃないが、得手不得手はある。好きなのは水彩画という。ギャラリーに飾られた作品も水彩画が多い。教員時代には満足にできなかった、大好きな絵を思う存分描いていた。似顔絵などで収入を得つつ、講演で全国を訪れる日々だった。

教え子の梶谷・糸原・白根が描かれた似顔絵を持つ開星・野々村監督

ⒸSPAIA(撮影・柏原誠)


日大三との激戦が野々村監督にとって最後の甲子園。11年前のことだ。就任して2年超が経ち、戦力も着々と備わってきた。自らが獲得に携わったのは今の2年生から。甲子園への情熱は今も変わらないという。

少しだけ冗談めかしてこう言った。「また注目されたいです(笑い)。アイツが帰ってきたと思われたい。やるからには結果出さないと男じゃないからね」。甲子園の「お立ち台」に立つ自分を想像している。

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