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沖縄出身のボクシング世界王者一覧、最強チャンプは誰だ?

2022 5/25 06:00SPAIA編集部
リングに入場する比嘉大吾と具志堅用高会長,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

13度防衛の具志堅用高

沖縄が日本に返還されて2022年で50年。各メディアでは様々なジャンルの「沖縄」が取り上げられている。

ボクシングでも沖縄は多数の王者を輩出してきた。男子で世界のチャンピオンベルトを巻いたのは以下の9人だ。

沖縄出身のボクシング世界王者


沖縄出身として初めて世界王者となったのが、今も燦然と輝く13度防衛の日本記録を持つ具志堅用高だ。石垣島で生まれ育ち、高校は沖縄本島の興南高に進学。3年時にインターハイのモスキート級で優勝するなど、アマチュア時代の戦績は62勝(50KO・RSC)3敗を誇った。

卒業後に上京して協栄ジムからプロデビュー。当時は最軽量級だったフライ級(50.8キロ)で戦ったが、ジュニアフライ級(現ライトフライ級=48.9キロ)が新設されるとすぐに階級を下げ、プロデビューわずか9戦目で世界初挑戦のチャンスをつかんだ。

1976年10月、山梨県の山梨学院大学体育館で「リトル・フォアマン」と呼ばれたハードパンチャー、ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)を7回KO。試合後、石垣島に生息するカンムリワシを引き合いに「ワンヤ、カンムリワシニナイン(私はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。

具志堅は最軽量級とは思えないハードパンチで世界の挑戦者を次々に倒す。3度目の防衛戦からマークした6連続KO防衛を含む13度の防衛。14度目の防衛戦でペドロ・フローレスに倒されてプロ初黒星を喫し、WBAライトフライ級のベルトを明け渡すとそのまま引退した。プロ戦績は23勝(15KO)1敗。具志堅の防衛記録はいまだ破られていない。

具志堅のベルトを取り戻した渡嘉敷勝男

上原康恒は沖縄中央高から日本大に進み、アマチュアで117勝(87KO・RSC)8敗の戦績を残して協栄ジムからプロ転向。1980年8月に米デトロイトでWBAスーパーフェザー級王者サムエル・セラノ(プエルトリコ)に挑戦し、6回にワンパンチでKO勝ち。初防衛後、2度目の防衛戦でセラノとの再戦に敗れた。プロ戦績27勝(21KO)5敗のハードパンチャーだった。

具志堅が明け渡した王座を取り戻したのが同じ協栄ジムの渡嘉敷勝男だった。1981年12月、金煥珍(韓国)に判定勝ちでWBAライトフライ級王座を奪取。旺盛なスタミナで5度の防衛に成功した。19勝(4KO)4敗2分けの戦績を残し、引退後はタレントとして活躍。1997年にジムを開設し、「渡嘉敷2世」の育成に励んでいる。

友利正は沖縄尚学高卒業後に三迫ジムからプロデビュー。1982年4月にWBCライトフライ級王者アマド・ウルスア(メキシコ)に挑戦して判定勝ちでベルトを巻いた。初防衛戦でイラリオ・サパタ(パナマ)に敗れて王座陥落。プロ戦績は19勝(5KO)7敗だった。

新垣諭は沖縄水産高時代にインターハイで優勝し、奈良池田ジムからプロデビュー。当時、JBC(日本ボクシングコミッション)が認めていなかったIBF(国際ボクシング連盟)バンタム級の初代王座決定戦でエルマー・マガラーノ(フィリピン)に8回TKO勝ちして王座に就いた。後に3階級制覇するジェフ・フェネク(オーストラリア)に2度目の防衛戦で敗れて陥落。プロ戦績は12勝(9KO)3敗1分けだった。当時IBFは日本未公認だったため、新垣は歴代の世界王者に名を連ねていない。

15連続KOの浜田剛史と比嘉大吾

名門・帝拳ジムで大場政夫以来2人目の世界王者となったのが浜田剛史だ。沖縄水産高を卒業後にプロデビューし、破格のハードパンチで15連続KOの日本記録を樹立。強打の代償として左拳を4度も骨折しながら過酷なリハビリを乗り越え、1986年7月にWBCスーパーライト級王者レネ・アルレドンド(メキシコ)を1回KOしてベルトを強奪した。会場の両国国技館のリングに座布団が舞う光景は今も語り草だ。

アルレドンドと再戦した2度目の防衛戦で敗れて引退。21勝(19KO)2敗1無効試合の戦績を残した。現在は帝拳プロモーション代表を務めている。

それまでの世界王者は上京してプロデビューしたが、地元・沖縄にこだわり、沖縄のジム所属として初めて世界王者となったのが平仲明信だ。日本大時代にロサンゼルス五輪に出場するなどアマチュアで67勝(64KO・RSC)9敗の戦績を引っ提げ沖縄ジムからプロ転向。4戦目で日本スーパーライト級王者となり、1992年4月、2度目の世界挑戦でWBAスーパーライト級王者エドウィン・ロサリオ(プエルトリコ)に1回TKOで王座を奪取した。

日本武道館での初防衛戦で敗れて引退。20勝(18KO)2敗の強打は世界でも屈指だった。引退後は沖縄で平仲ボクシングスクールジムを経営している。

江藤光喜は具志堅用高の愛弟子として初めて世界王者となった。2008年に白井・具志堅スポーツジムからプロデビューし、2013年8月に敵地バンコクでWBAフライ級暫定王者コンパヤック・ポープラムック(タイ)に判定勝ち。JBCは王座を乱造していたWBAの暫定王座を世界王座と認めなかったため国内では防衛戦を行えず、初防衛戦は再びタイで戦いTKO負けで無冠となった。

浜田剛史が持つ15連続KOの日本記録に並んだのが比嘉大吾だ。宮古工業高卒業後に白井・具志堅スポーツジムからプロデビュー。フライ級ながらアグレッシブなパンチャーとして12連続KOをマークし、2017年5月に挑戦したWBCフライ級王者フアン・エルナンデスに6回TKO勝ちで王座に就いた。

2度目の防衛戦までKO勝ちを続けて15連続KOの日本タイ記録をマーク。新記録を狙った3度目の防衛戦で計量をクリアできず王座剥奪となり、試合にも9回TKO負けした。その後、バンタム級に上げて再起し、ジムも移籍したが、直近では2021年4月に判定負けしている。

ほかにも世界には届かなかったが、勇利アルバチャコフと激闘を繰り広げたピューマ渡久地や、戸高秀樹や徳山昌守の持つ世界王座に挑戦した名護明彦ら熱いファイトを見せたボクサーは多い。今後は沖縄からどんなスターが誕生するか、楽しみに待とう。

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