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ボクシング田中亮明インタビュー②幸運だった1年遅れのオリンピック

2021 12/4 11:00近藤広貴
中京高校ボクシング部で指導する田中亮明,ⒸSPAIA(撮影・近藤広貴)
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ⒸSPAIA(撮影・近藤広貴)

東京五輪ボクシングフライ級銅メダリスト

今年8月の東京オリンピックのボクシング競技フライ級で61年ぶりの銅メダルを獲得した田中亮明がSPAIAの取材に応じた。岐阜県中京高校で教員として教鞭を振るいながら、選手として二足の草鞋でオリンピックを目指したことなど、これまでのボクサー人生や今後について語った。

3回連載の第2回は、1年遅れの開催となった東京オリンピックでの激闘について。今回の取材は、共に中京高校でボクシング部の指導にあたり、日頃身近に接している筆者(近藤広貴)が行った。

「1年遅れのオリンピックはラッキー」

――コロナの影響で東京オリンピックの開催が1年遅れになってしまったけど、その時の心境とかってどうだった?

田中亮明
(以下、田中):僕、2020年の3月に開催国枠でオリンピック内定していて、そのすぐ後に延期になったんですけど、オリンピックに出られることは延期になっても決まっていたんですよ。なので、開催が1年遅れることは僕的にはラッキーだなと思いました。

――逆に延期してラッキー!?苦しい練習の期間が伸びるのに!?

田中
:いや、本当にラッキーでしたね。なぜなら、2020年の2月のアジア予選で1回戦で負けていて、このままじゃ、オリンピックに出てもメダルは取れないんじゃないかって思っていたんですよ。メダルを取るために、自分を変える期間ができたからよかったなって純粋に思いましたね。

――延期して伸びた1年間で具体的に何を変えようと練習をしていたの?

田中
:今までは東京オリンピックを目指すにあたって、負けないボクシングを目指していたんですけど。

――アウトボクシング?

田中
:はい。勝ちに行くって言うよりかは、負けないっていうことを考えてボクシングをしていたんですね。けど、オリンピックではそれじゃ勝てないなって思って。自分より上手い選手は世界にはいっぱいいますしね。だから、メダルを取るためには攻めて勝ちに行くボクシングをしないといけない。

今回のオリンピックってホーム開催なので、絶対に攻めた方が有利になるんじゃないかって思ってて。いろんな海外の試合を見てきて、ホームの選手って攻める選手がジャッジから良い評価を受けるんですよ。

――歓声とかもすごいだろうから、ジャッジの心理にも影響しそうだよね。

田中
:そうなんですよ。やっぱり、ホームアドバンテージってあって、そこまで名前がない選手でも、攻める選手が番狂わせを起こすことが多くて。それを見てきてたのでメダルを取るために攻めるボクシングで行きたいなって思って。

――確かに、いつもとスタイル全然違ったもんね。

田中
:僕も打ち合いは苦手じゃないんで、攻撃的に行っても倒す自信はあったし、今までアウトボクシングでも倒してこれてたので、そこには自信もあったんですけど。ただ、スタミナの部分に不安を抱えていて、そこを改善できる期間ができてよかったと思っています。

ベストバウトは初戦のヨエル・フィノル

――いざ、オリンピックが始まって、トーナメント表を見た時どう思った?1回戦からメダリストばかりだったじゃん。

田中
:当然みんな知ってましたし、1回戦の相手もバレロ(エドゥイン・バレロ)の義弟だって思いましたね。日本代表選手団でトーナメント表を見てて、周りの選手から「亮明さんお疲れ様でした」って言われてりして(笑)。けど内心は負けると思っていなかったですね。

――そりゃそうだよね。負けると思ってボクシングしないしね。東京オリンピックで自身で一番のベストバウトって誰とやった時?

田中
:僕的には1回戦ですね。

――メダル獲得が決定した準々決勝じゃなくて?

田中
:はい。スタイルチェンジしてからあそこまでの攻撃的な試合運びって練習でも試合でもあんまやってないんですよ。それを、1ラウンド目の最初の1秒から行けた。それがあったからこそ、2回戦、3回戦、準々決勝も行けた気がします。

1ラウンド目に迷って普通にやっていたら、メダルを取れてなかったと思って。だって、1ラウンド目を取られたら、焦って自分のスタイル崩れるじゃないですか。だから、初戦の1ラウンド目があったからこそ、今大会は突き抜けられましたね。

「勝利への執着心で自然と声が」

――試合の時に験担ぎとかしてた?

田中
:いや、特になかったですね。ただ、僕普段の試合って、パンチ打つ時に声出さないんですよ。今回のオリンピックは、パンチ打つたびに声を出したんですけど。

――確かに。めっちゃ、出てたね(笑)。

田中
:あれ、試合中初めてだったんですけど、1回戦の1ラウンドは声出してなかったんですよ。けど、2ラウンド目になんとしても勝ちたくて、2ラウンド目取ったら勝てるって思って。

――公開採点だもんね。

田中
:はい。そう思ったら、勝ちの執着心が出ちゃって、それが勝手に声になっていたんですよ。これ、験担ぎじゃないですけど、じゃあ、もう全試合声出していこうって思って。

2回戦の中国の選手って、めっちゃ声出すんですよ。パンチ打つたびに。だから、絶対にこいつより大きい声出してパンチ打ってやろって思ってましたね。

田中亮明(たなか・りょうめい)1993年10月13日。岐阜県多治見市出身。幼少期より空手を始め、12歳からボクシングを始める。中京高等学校在学中に全国高校総体準優勝、駒澤大学4年時に全日本選手権優勝。大学卒業後母校の教員としてオリンピックを目指し、2021年に行われた東京オリンピックで日本人フライ級61年ぶりの銅メダルを獲得。2歳下の弟・恒成はプロボクシングで3階級制覇。

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