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デフリンピック女子バレー金メダルへの道~手のぬくもりが互いのエール

2017 11/10 12:24kero
第23回夏季デフリンピック
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2017年トルコで金メダル!手話で国歌斉唱

去る2017年7月18日~30日、トルコ・サムスンにおいてデフアスリート(聞こえないアスリート)たちのスポーツの祭典、第23回夏季デフリンピック(IOC承認)が開催された。
世界97カ国、3104人が参加し、過去最多の参加者数。かつてない盛り上がりを見せた。日本からは選手108名、スタッフ69名、総勢177名を派遣。前回ソフィアで銀メダルを獲得したデフバレーボール女子日本代表は満を持して金メダル獲得へと臨んだ。

出典:第23回デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイト

決勝戦はストレート勝ち

2017年サムスン大会の女子バレーボール競技参加国は、全部で9カ国だった。準決勝の対戦相手はウクライナだ。過去3回金メダルを獲得しているウクライナを下すことは、デフリンピック女子バレーにおいて大きな意味を帯びる。
ウクライナチームの平均身長は日本チームより遥かに高く、その長身を活かした攻撃が続き接戦となった。しかし日本チームは、手を握り、励ましあい、伸び伸びとプレーすることで、気圧されることなくウクライナを下し、決勝へと勝ち進んだ。
決勝の相手はイタリアだった。ウクライナ戦で勢いがつき、持ち前の団結力がいかんなく発揮され、日本ペースのまま3-0のストレート勝ちだった。

キャプテンの宇賀谷選手は、誰かがミスをすれば駆け寄り励まし、インターバルでは全員で手を握り共に支えあった。聞こえる選手たちの競技とは、異なる種類のコミュニケーション能力が必要となるデフバレーボール。バレーボール女子日本代表は、2017年7月デフリンピックサムスン大会で全勝優勝し、2001年以来、16年ぶりの金メダルを日本にもたらした。

サムスン大会バレーボール女子日本代表

出典:第23回デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイト


監督は元日本代表狩野美雪さん

監督の狩野美幸さんは、元日本代表で2008年北京オリンピックに出場したオリンピックメダリストだ。その後久光製薬、デンマークのリーグでも活躍し、2011年に現役を引退した。
同年、デフバレーボール女子日本代表の監督に就任し、大学でバレーボール部の後輩だった前監督(故)今井起之氏の遺志を引き継ぐ形で監督に就任する。指導者として立つのは、デフバレーボール女子日本代表が初めてだった。
狩野監督が選手たちに接するときは、選手たちがジェスチャーや唇を見て理解するので、彼女たちの視覚を確保できるよう立ち位置に気を付けている。しかしそれ以外は普通と全く変わらず接し、指導する。「デフの世界を知らないが故に、忌憚なくなんでも言えたことが良かった」と監督はいう。「耳が聞こえないだけで、聞こえる人に負けると考えるのはおかしい。健聴者の中でもリーダーになれる人になってほしい」(日本経済新聞2013/7/14)と指導する。

全国に散らばる選手たち、キャプテンの苦労、1人1人の頑張り

2013年のソフィア大会で銀メダルを獲得後にメンバーが約半分入れ替わっており、現役高校生3人を含み若い選手が多くなった。 障がいの度合いは、難聴者とろう者の両メンバーを含むため、まちまちとなっている。年齢も16歳から33歳までと幅がある。そんなメンバーたちを率い、まとめあげたキャプテンの宇賀谷早紀さん(富士ゼロックス)は、年上から年下への意味の伝え方に苦労したと語る。夜遅くまでミーティングをし、チームの意思の疎通を図ったという。

また、選手たちが住んでいるところは沖縄、九州から四国、関西、関東と日本全国に散らばっている。多少の補助は国から出ているが、移動費や宿泊費など多くを自己負担でまかない練習に参加している。企業で働きながらの選手も多く、仕事との両立にはなかなか苦労しているようだ。

サムスン大会バレーボール女子日本代表

出典:第23回デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイト


頼もしい10代の選手たち

メンバー12名中、4名が10代で、うち3名が高校生だ。平岡小百合選手(18)は、正智深谷(しょうちふかや)高校(埼玉)の3年生。学校でもエースを務める。彼女は普段、高校のバレー部では補聴器を付けて聞こえる選手たちとプレーをしている。しかしデフリンピックの規則では、補聴器を外してプレーをしなければならないため、無音状態での訓練が必要となった。聞こえないのに耳が聞こうと集中してしまい、慣れるのに苦労したという。

中田美緒選手(16)長谷山優美選手は(16)共に平塚ろう学校2年生で、中学生から代表入りしている。セッターの中田選手は日本代表のベストセッターとして、みんなから頼りになるセッターになりたいと語る。
生まれつき感音性難聴の尾塚愛美選手(19)は、京セラ株式会社川内工場に勤務する。身長167㎝のアタッカーだが、ジャンプ力があり最高到達点は2.9mある。セッターに「アイコンタクト」でトスをあげてもらいスパイクを繰り出す。

デフバレーボールはデフリンピックへ1977年から参加

日世界で本人が活躍しているとはいえ、まだまだメディア露出の機会が少ないデフリンピック。その歴史は意外にも長く、日本人がメダルを獲得するようになったのもごく最近のことではない。
デフリンピックの歴史はパラリンピックよりも古く、1924年パリ大会から始まった。日本バレーボールチームは1977年ブカレスト大会のから参加している。初めて女子バレーボールチームがメダルを持ち帰ったのは、1985年ロサンゼルス大会で獲得した銅メダルだった。
1989年クライストチャーチ大会では銅、2001年ローマ大会で金、それ以降も毎回欠かさず銀か銅を獲得している。そして2017年、見事16年ぶりに金メダルへと返り咲いた。

サムスン大会バレーボール女子日本代表

出典:第23回デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイト


デフバレーボールの見どころ 一人でも多くの人に

デフバレーを通じて、そもそもバレーボールとは、かなりの部分を「音」に頼るスポーツであるとを知ることができる。聞こえる選手の場合は、スパイクコースを「音」で判断するが、デフバレーの選手たちはそれができないため、「目」で見ることが大きな情報源となる。
あるデフバレーボール選手によると、チームメートとの意思疎通には、「第六感」によるところも大きいと言う。より研ぎ澄まされた感覚が必要になってくる。アイコンタクトをとり、呼吸を読み、サインでやり取りをする。大きく手を振り、ボールを取る意思表示をする。

サムスン大会バレーボール女子日本代表

出典:第23回デフリンピック競技大会(サムスン2017)日本選手団サイト


また、あらゆるシチュエーションを考え、誰が対応するのか事前に決め、想定外の場合にも対応できるように練習している。より高度な戦略が必要だ。
聞こえる選手同士なら、ぶつかることを恐れて譲り合ってしまうようなボールに対しても、デフバレーの選手たちは、危険を恐れずにボールを拾うことを優先し、チャレンジするそうだ。”もしぶつかっても気にせず、すぐプレーに戻れる”そこが凄いと監督は言う。

デフバレーの世界ならではの高度なコミュニケーション能力と戦略性、そしてぶつかることをを恐れない果敢な姿が見どころでないかと思う。
日本でも世界的にもまだ認知度の低いデフリンピック。しかし、参加国も増え、その規模は毎年大きくなっている。デフバレーボール女子日本代表は世界一であることを、より多くの人に知って欲しいと思う。