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屈辱から5年…男子バレー石川祐希が主将として挑む東京五輪への決意

2021 7/20 11:00有栖沙織
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20歳で挑んだリオ五輪予選で味わった屈辱

2016年6月に行われたリオデジャネイロ五輪のバレーボール男子世界最終予選。日本代表は2勝5敗で8チーム中7位に終わった。

石川祐希にとっては予選敗退という事実はもちろんだが、5戦目のオーストラリア戦で右足を痛め、勝負のカナダ戦に出場できなかったことも心残りだっただろう。

「ミュンヘンの奇跡」と呼ばれる1972年ミュンヘン五輪での金メダルは遠い過去の話。近年の男子バレーは衰退し、最終予選敗退が続いていた。そんな中、彗星のように登場し、圧倒的バレーセンスを見せつけた石川には「日本の勝利」「日本男子バレーの人気復活」という2つの期待がかけられていた。

弱冠20歳の青年にはあまりにも重責だったが、石川には当時から可能性を感じさせる輝きがあった。しかし、そんな期待に満ちた男子バレー界を待っていたのは厳しい現実だった。

世界から狙われた20歳のエース

エース石川祐希の名前は、リオ五輪予選が始まる前から世界に轟いていた。初めて代表に選出されたのは2014年、18歳の時だった。同年に開催されたアジア大会で中心選手として活躍し、1978年以来2度目の銀メダルを獲得。さらに2015年のワールドカップでも高い決定率を見せ、リオ五輪最終予選の頃にはすでに石川の名前を知らないチームはいなかったと言われる。

どのチームも石川の攻撃を阻止するためにサーブで狙い、ブロックを強化。石川としては戦いづらい場面が多く見られた。もちろん日本代表もそれを想定していないわけではなく、石川の負担を減らすようサーブカットのフォーメーションを敷き、ブロックを散らすような複雑な攻撃を用意していた。それでも、日本はあと一歩世界に及ばなかった。

5年間イタリアで磨き続けた技術とメンタル

日本代表のリオ五輪予選敗退が決まった約2か月後。石川祐希はブラジルにいた。自身も立つはずだったコートで繰り広げられる激しい戦いを予選から決勝まで、実際に現地で観戦した。負けて落ち込んでいる暇はない。敗退した瞬間から、石川祐希の東京五輪に向けての戦いは始まっていたのだった。

石川は「海外で戦いたい」という気持ちを一層強くしていた。当時大学3年生で進路を決める時期にさしかかっていた石川は、オファーがあったバレー大国・イタリアのラティーナへの所属を決めた。2014年のイタリアのプロチーム・モデナへの短期留学に続き、2度目のイタリア挑戦である。

当時、ラティーナは強豪と言えるほどの実績を残していないチームだったが、だからこそ石川は試合に出てアピールするチャンスは多いと踏んでいた。1度目は4か月間の短期留学で、世界の強さを体感することができたが、2度目は違う。世界で活躍する選手になるために行く。そんな強い意気込みで渡ったイタリアで、5年間石川はただひたすらに自分の技術とメンタルを磨き続けた。

プレーはもちろん、キャプテンシーにも期待

2021年、東京五輪。昨年まで日本代表を背負い、一緒にリオ五輪予選敗退の悔しさを噛みしめた柳田将洋から主将を受け継いだ。この判断を下した中垣内監督は、イタリアでの石川の成長を高く評価している。

プレー面だけではない。もともと淡々と自分のプレーに集中する姿が印象的だった日本のエースは、2020‐2021シーズンにイタリアでCEVチャレンジカップ優勝に貢献した。

コート上には、普段と違って感情を前面に出してチームを引っ張る石川の姿があった。このようなキャプテンシーは今の日本に求められるものであり、それが五輪の舞台で発揮できるのは石川しかいないだろう。

自身もやりたかったと公言する主将として挑む東京五輪。メダルを手にした石川祐希のとびっきりの笑顔のその先に、日本男子バレーの復活がある。

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