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大関カド番からの生還率は高いが、陥落後の最昇格率は?

2019 8/26 06:00本松俊之
イメージ画像ⒸInked Pixels/Shutterstock.com
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9月場所は豪栄道と栃ノ心がカド番

7月場所の大関陣は散々な成績だった。5月場所で10勝をあげ、大関復帰を果たした栃ノ心は、初日から5連敗を喫し6日目から休場。負けがこんだ豪栄道も8日目から休場。そして、優勝争いにかろうじて踏みとどまっていた高安も肘の負傷で白鵬戦が組まれていた11日目から休場し、初日から休場していた貴景勝を含む4大関が休場するという昭和以降はじめての事態となった。

大関は負け越した場所の翌場所に勝ち越さなければ大関から陥落する。その状況をカド番とを言うが、9月場所では、豪栄道は8度目の、栃ノ心は3度目のカド番で大関残留を目指すことになる。また、関脇に陥落した貴景勝は再昇進を狙う。

大関は、2場所連続で負け越せば関脇に陥落するが、翌場所に10勝以上を上げれば特例で再度の大関昇進ができる。現在の制度はいくつかの変遷を経て、1969年7月場所から今の形になった。

陥落後の大関復帰の可能性は2割弱

今の制度になってからのカド番経験数上位大関と9月場所でカド番を迎える3大関を並べたのが下記の表だ。

大関カド番経験場所数ⒸSPAIA

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カド番を迎えた大関はのべ130人。陥落したのはのべ22人となっている。勝ち越せば逃れられるカド番からの生還率は83.1%とかなり高い。

一方で、カド番で負け越して関脇に陥落となると、大関への再度の昇進は簡単ではない。9月場所で10勝以上をあげて、大関への復帰を目指す貴景勝を除くと、陥落したのは21ケースで復帰できたのは2割以下の4回しかない。大関から陥落した力士で即引退した力士はいないが、返り咲くことは非常に難しいのだ。

大関に2度返り咲いた栃東

そうしたなか、1度ならず2度の陥落を経験した力士が3人いる。

栃東(現玉ノ井親方)は、新大関の02年の1月場所で13勝2敗の成績で優勝するも、カド番で迎えた04年7月場所で負け越して陥落。翌場所で10勝をあげ、再昇進をしたが、9月場所は右膝半月板の損傷で4日目から休場、11月場所は肩の骨折で休場し、2度目の大関陥落となった。それでも05年1月場所では11勝をあげ、再びの再昇進となった。カド番で迎えた06年1月場所では、14勝1敗で優勝もした。関脇転落の後、2度大関に返り咲いた力士は栃東以外いない。3度の優勝を果たし、絶対的な力を誇っていた朝青龍に対抗できる唯一の日本人力士として期待された栃東だったが、07年、脳梗塞で惜しまれながら引退した。

貴ノ浪(故人)は96年と97年、2度の優勝を果たしたが、99年11月場所で2場所連続の負け越しで関脇に陥落した。直後の00年1月場所で10勝を上げ再昇進を果たしたが、3月場所、5月場所では7勝と6勝にとどまり2度めの陥落。その後は大関に戻ることはできず、04年に引退した。

日本相撲協会の第11代理事長も務めた魁傑(故人)は、75年11月場所で2場所連続の負け越しにより関脇陥落。翌場所も7勝で特例での復帰はできなかった。しかし、76年の9月場所に2度目の優勝を果たすと、その後の2場所でそれぞれ11勝をあげ、堂々の再昇進を決めた。しかし77年の7月場所、9月場所で連続負け越しとなり、再び陥落。79年に引退した。陥落翌場所10勝以上という特例の制度ではなく再昇進をした力士は魁傑だけである。

大関は江戸時代から明治の中期頃までは最高位とされていた地位だ。負け越しても翌場所の地位に影響がないのは、引退以外選択肢のない横綱以外では大関だけだ。降格や再昇進の特例以外にも月給は横綱の300万円に次ぐ250万円。これは関脇、小結より70万円高い待遇だ。それだけにファンからの注目度も高い。

7月28日から8月25日まで行われている夏巡業には、栃ノ心が11日から合流することが発表されたが、高安、豪栄道は休場が続く。果たして9月場所に間に合うのか。

大関は必ず二人置くと定められているため、もしカド番大関が揃って陥落し、11月場所で大関が髙安のみとなると、40年ぶりに横綱が大関を兼ねる「横綱大関」が置かれることになる。

そんな事態を避けるためにも大関陣の奮起と、そして貴景勝の再昇格に期待したい。

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