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「限られた戦力でも結果」ヤマハ発動機監督引退の清宮氏の功績

2019 2/10 15:00藤井一
清宮克幸,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

監督としてのスタートは母校早稲田

「今後はチームのアドバイザーとして再びヤマハの監督になる堀川を全面的に支える。そして女子と子供に特化して静岡全体にラグビーをはじめ広くスポーツを根付かせるべく地域に貢献したい。監督はこれで終わり」と語り、清宮克幸(51歳)が8年間務めたヤマハ発動機の監督を退任した。

清宮の指導者としての第1歩は、母校早稲田大学の監督だった。2002年度には13年ぶりの大学日本一に導き、大学選手権優勝は3回。また、2005年度の日本選手権では2回戦でトヨタ自動車を28-24で下した。

大学のチームがトップレベルの社会人チーム(すでにトップリーグは3年目に入っていた)を破ったのは、清宮自身が早稲田大学2年生だった1987年に、まだ大学日本一と社会人日本一のチームの一発勝負だった日本選手権で、東芝府中(現東芝ブレイヴルーパス)に22-16で勝って以来のことだった。

「アルティメットクラッシュ」をスローガンに掲げた、非常にフィジカルなチームは、一つの歴史を作った。

その後は現役時代にプレーしていたサントリーの監督に就任。サントリーでは、最盛期を迎えていた東芝に阻まれトップリーグ、日本選手権制覇は叶わなかったが、2年目にカップトーナメントであるマイクロソフトカップで優勝を果たした。

絶望的な状況からチームを変革した

ヤマハ発動機の監督になったのは、サントリー監督を辞して1年が経ってからだった。

会社の方針で活動縮小から退部者が続出、トップリーグ降格か?というところまで弱体化していたヤマハ。方針が変わりもう一度ラグビー部を強くしたいということで清宮を監督に招聘したのだが、当時は「清宮はこんなチームを引き受けて大丈夫なのか?」と心配する声もあった。

そんな中、清宮は手始めに、サントリー時代からの盟友である元日本代表PRで、スクラムのコーチングに定評があった長谷川慎をFWコーチに迎えスクラムを強化。さらに、アトランタオリンピックレスリングフリースタイル74kg級銅メダリストで、早稲田大学でレスリング部の指導に当たっていた太田拓弥も呼び、練習にレスリングトレーニングを積極的に取り入れた。フィジカルを鍛えるだけではなく、ブレイクダウンでのボールの争奪戦に役立つ身体の使い方を徹底的に覚えこませたのだ。

早稲田の後輩でもあり、それまで監督を務めていた堀川隆延も清宮を信頼し、コーチとして彼を支えた。

セットプレーの強化を軸にした戦法を「ヤマハスタイル」と名付け、みるみるうちにチームは復活。監督4季目の2014年度にはトップリーグで準優勝し、日本選手権では優勝を果たし、その後も毎年、優勝争いに絡む強豪チームに育て上げた。

卓越した選手育成能力

清宮監督の功績はチームを強くしたことだけにとどまらない。選手個々の能力もこの8年間で飛躍的に進歩させた。

PR仲谷聖史、山本幸輝、伊藤平一郎、HO日野剛志、LO大戸裕矢、FL三村雄飛丸、トンガ出身で日本に帰化したヘルウヴェ、ナンバー8堀江恭佑、WTB伊東力。後に日本代表キャップを獲得した選手たちのほとんどは、学生時代にはあまり注目されていなかった。

仲谷に至っては35歳にして代表デビューを果たした。来日時ははっきり言って“ただ大きいだけ”で、まだ発展途上だったディネスバラン(デューク)・クリシュナン(マレーシア代表)も、いつしか大戸と並ぶヤマハでは欠かせないLOにまで成長。選手の強みを見つけ進化させる能力に長けた監督なのである。

1月29日の退任会見では「限られた戦力でも戦い方次第でやればできることを証明できた。そして、今やヤマハスタイルのスクラムは日本代表のスタンダードのようになっている。こんなうれしいことはない」と語った。

日本代表にも求められる独自性

ラグビー先進国に比べると、残念ながら資質で劣る日本代表。清宮のやり方がすべてではないが、「限られた戦力でも結果を出す戦い方」という発想は常に求められる。

4年前のワールドカップで南アフリカを破ったときの日本代表には、エディ・ジョーンズHCのもと、独自の明確な指針があった。今の日本代表にも当然、なければならない。

ワールドカップまでもう7か月。ジェイミー・ジョセフHCのもと、どんな「ジャパンスタイル」が確立されるのか?プレーの精度を上げる、トランディションを早くする、などといったはっきり言って、どこの国でもやっている強化とは違った“何か”が必要なのではないか?

名監督の退任を惜しむと同時に、そのようなことを考えたメディア関係者は私だけではなかったのではないかと思う。