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ボクシング田中亮明インタビュー①教員とアスリート二足の草鞋を選んだ理由

2021 12/3 11:00近藤広貴
田中亮明,ⒸSPAIA(撮影・近藤広貴)
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ⒸSPAIA(撮影・近藤広貴)

東京五輪ボクシングフライ級銅メダリスト

今年8月の東京オリンピックのボクシング競技フライ級で61年ぶりの銅メダルを獲得した田中亮明がSPAIAの取材に応じた。岐阜県中京高校で教員として教鞭を振るいながら、選手として二足の草鞋でオリンピックを目指したことなど、これまでのボクサー人生や今後について語った。

3回連載の第1回は、教員としてオリンピックを目指した選手生活について。今回の取材は、共に中京高校でボクシング部の指導にあたり、日頃身近に接している筆者(近藤広貴)が行った。

「母校の看板を背負ってオリンピックへ」

――亮明先生は高校時代にインターハイ準優勝、駒澤大学時代には全日本選手権優勝という輝かしい実績を残してるけど、大学卒業後はなぜ母校である中京高校で教員となりオリンピックを目指したの?

田中亮明
(以下、田中):もともと教員になろうとは考えていませんでしたね。高校在学時に顧問の先生から、大学進学するなら教職とっておいた方がいいぞって言われて、せっかく大学行くなら教職とっておこうかなぐらいに考えていました。

――けど、いざ大学4年生になって就職考えた時に母校で教員をやろうと思ったのってなんでなの?教員としてボクシングを続けるよりも、もっとボクシングだけに打ち込める環境ってたくさんあったでしょ。

田中
:2015年が大学4年生で就活をする時期だったんですけど、その時リオデジャネイロオリンピックの代表候補選手になっていて、せっかくオリンピックに出られるチャンスがあるのなら母校の看板を背負って出たいなって思いがあったのと、リオデジャネイロオリンピックで選手生活を最後にしようと思っていて、選手として引退した後も指導者としてボクシングに携わりたいなって思いがあったので母校の教員になろうと考えました。

――そうなんだ。でも、教員と2足の草鞋で選手するのって大変だったでしょ?

田中
:大変でしたね。生徒が練習の時って、生徒に基本動作の指導など教えたりしないといけないので、一緒に練習できないんですよ。なので、部活の時は生徒に教えて、自分は授業の合間の時間が取れる時に1人で練習していましたね。いろんな方法を考えて、自分のボクシングの練習をする時間を作ることを考えていましたね。それこそ、朝の通勤の時に家から学校(13km)までランニングしてくるとか。

――やばいね(笑)。結局、リオデジャネイロオリンピックに惜しくも出場できなかったけど、その次の東京オリンピックを目指したのはなぜ?

田中
:いや、やめようと思っていたけど、なんかやりたくなっちゃって。

――そりゃ、そこまでいったらやらなきゃ後悔するもんね。

何度も対戦した井上尚弥「意識しなかった」

――オリンピックを目指すにあたって練習の時に参考にしていた選手とかいたの?

田中
:リオデジャネイロオリンピックで銀メダルを獲得して、プロのスーパーフェザー級でも世界チャンピオンになったシャクール・スティーブンソンとかはよく参考にしてましたね。あとは、テオフィモ・ロペス(前世界ライト級王者)とか。

――ロペスって、ロマチェンコに勝って最近名前が上がってきた選手だよね。

田中
:ロマチェンコに勝つ前から、スタイルかっこいいな~って思ってよく見てましたね。

――そうなんだ!亮明先生は高校時代に井上尚弥と何度も試合しているけど、逆に井上を意識することとかなかったの?

田中
:全くなかったですね。よくテレビで試合見ますけど、誰も井上相手に良い試合してないから、テレビ見ながら全然面白くないな~って見てたぐらいですね。けど、ドネアとの試合は面白かったですね。

奥さんや学校のサポートも大きな力に

――オリンピックに臨むにあたって、周りのサポートとかも結構あった?

田中
:僕、2018年に結婚してるんですけど、そこから妻と一緒に住み始めて、そこからは食事のサポートも家事とかも全てやってもらっていましたね。

――ありがたいし、力になるよね。

田中
:それと2019年はオリンピック出場が決まる年だったので、授業とかも全て外してもらってボクシングに集中できる環境を作っていただけていましたね。

――学校のサポートもかなりあったんだね。

田中
:学校のサポートもよくしていただけましたね。

――オリンピックに臨むにあたって、良い環境を作ってもらえてありがたいね。

田中
:本当、ありがたかったですね。

田中亮明(たなか・りょうめい)1993年10月13日。岐阜県多治見市出身。幼少期より空手を始め、12歳からボクシングを始める。中京高等学校在学中に全国高校総体準優勝、駒澤大学4年時に全日本選手権優勝。大学卒業後母校の教員としてオリンピックを目指し、2021年に行われた東京オリンピックで日本人フライ級61年ぶりの銅メダルを獲得。2歳下の弟・恒成はプロボクシングで3階級制覇。

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