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現役時代は勝負強さが売り 川辺泰三がB2・FE名古屋の新HCに

ベンチで選手に指示を送る、FE名古屋川辺泰三HCⒸマンティー・チダ
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Ⓒマンティー・チダ

現役時代は勝負強さがピカイチの「シックスマン」

B2で昨シーズン、中地区2位に終わったファイティングイーグルス名古屋(以降FE名古屋)。2017年7月から2シーズンACとしてチームに関わってきた川辺泰三が、今シーズンから新HCして就任し、前HCの渡邊竜二はGMとなった。チームのホームページには、本来2020-21シーズンから川辺にHCを要請する予定だったが、渡邊GMの家庭の事情もあり、チームと相談の上、1年早く交代することになったとある。

川辺泰三は筆者がバスケットボールの取材をするようになって、最初に試合後の個別インタビューをした選手だった。今から遡ること7年前の2012年2月。当時は京都の選手で、初めて会ったにもかかわらず、気さくに筆者の問いかけにも答えてくれたのを鮮明に覚えている。彼は明るく前向きな性格で、当時からチームでは一番の人気者だった。

その頃の京都は、現在も指揮する浜口炎HCが指揮官として就任し、川辺はスタート5ではなく「シックスマン」と呼ばれる控えの1番手で出場する役割を担っていた。

川辺泰三、現役最後の試合で最後の挨拶Ⓒマンティー・チダ

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交代を告げられ、ベンチから背番号“11”を付けた川辺がコートに入ると、リードを許している時には「流れを変えてくれるのではないか」とアリーナに駆けつけた京都のブースターは固唾を呑んで見守っていた。そして、得意の3pシュートが入ると、まるで優勝したのではないかと思うぐらいの歓声に包まれ、チームも勢いに乗っていった。まさに勝負強いという言葉がよく似合う選手だった。

そうして積み上げた白星で、当時bjリーグ所属だった京都は2011-12シーズンでチームとして初めてファイナルズ行きを決めた。最終順位は4位に終わるものの、川辺にとっては充実したシーズンであった。

現役引退後は経営者に転身 一方でバスケットボール界への想いも

川辺は2011-12シーズンで京都を退団。大阪・島根と渡り歩き、2013-14シーズンをもって現役引退を発表し、家業である結婚式場の経営者に転身した。現役引退から約10か月後の2015年5月に、川辺の元を尋ねてインタビュー取材を実施すると、その頃は、もう経営者の顔になっていたが、バスケットボールの話を始めると、様々な想いが言葉から溢れていた。

小学5年生にバスケットボールを始めた川辺。甲南高校、甲南大学と進学し、関西学生リーグの得点王に輝き、エースとして全日本大学バスケットボール選手権大会(インカレ)へ導いていた。現役時代に付けていた背番号「11」は、甲南高校のエースナンバーだった。

大学を卒業し、三菱電機(後の名古屋D)に加入すると、現在Bリーグの千葉・大野篤史HCや名古屋D・梶山慎吾HC、エース格の沖田眞といった代表候補とポジション争いをすることになり、「壁という壁を感じた」と語る。‟フィジカルとバスケ用語を知っているかどうか”でもこれまでとの違いを感じ取っていたようだ。

京都にプロチームができるということを知った川辺は、4年間過ごした名古屋から、京都に移る。2009-10シーズンから在籍して3年目で浜口HCと出会う。

「すごいとしか言いようが無いですね。チーム作りやコミュニケーション作りはすごい」

川辺は、浜口HCの印象をこのように答えていた。

「シーズン8カ月から10カ月で、こんなにも信頼関係を構築出来て、チームとしてのルールとかを徹底させられてゴールを明確にできる。これはもうすごいですね」

川辺は‟すごい”という言葉を何度も使った。そして‟シックスマン”の起用についても、こう振り返る。

「僕自身、上手に使ってもらっていた。その中で信頼関係を得られたかなと。結果も出せたので、22年の選手生活で一番楽しい1年だったと正直思う。流れを変える場面で『泰三だったらこういくだろうなとか、こう守るだろうな』というのを浜口HCも自分も理解した上でコートに入ることができた」

川辺は‟シックスマン”で新境地を開拓し、バスケットボール人生で重要な時期を迎えていたのだ。

その後、大阪を経て、現役生活最後のチームとなった島根に入団。ここでは、試合に出られないという苦労を味わった。

「試合に出られないと自分自身表現できないですから。チームで戦わないといけないというのは炎さん(浜口HC)の頃から自分の中に根付いていたので、チームが勝つためにどうしていくのかということを常に考えていた。自分にできる事を一生懸命やろうと。ボールのシェア率がものすごく悪いチームほど勝てない。一人が目立ったりしても絶対勝てないです。その辺は声を大にして言い続けてはいました。自分が無理になってからのパスと、チームが作ったパスは確実に違うと思いますし、その辺はヘッドコーチが言ってくれないとなかなか変わらないですからね」

コートサイドに立つ川辺泰三HCⒸマンティー・チダ"

Ⓒマンティー・チダ


そんな想いを描きながら、川辺は家業を継ぐためにバスケットボール選手としての生活にピリオドを打つ。しかし現役引退から10か月後、経営者でありながらもバスケットボール界に関わりたい想いを告白していた。

「教えることはやってみたい道ですし、100%でやりたいですから。そういう道を経てプロならなりたいですし、教えてみたいですね」

それから4年後、川辺泰三の夢は現実となった。

FE名古屋の指揮官としてコートサイドに立つ

川辺は、かつて住んでいた名古屋のチームであるFE名古屋でACを2シーズン経験し、今シーズンから指揮官に昇格してコートサイドに立っていた。チームとしてはB2優勝と悲願のB1昇格を目指すシーズンである。

アーリーカップ東海では3位に終わっていたFE名古屋。B2開幕節はホームで青森と対戦し1勝1敗で終えて、第2節の相手東京Z。東京Zとはアーリーカップ東海3位決定戦で顔を合わせ、59-40で下している。

第2節、片柳アリーナ(東京都大田区)に乗り込んでの試合結果は以下の通り。

9月28日 FE名古屋 85-65 東京Z
9月29日 FE名古屋 84-72 東京Z

両日ともFE名古屋は主導権を握り続けて、敵地ながら東京Zに2連勝した。特にDAY1は東京Zのプレッシャーディフェンスに対し、果敢に攻めて流れを掴んだまま試合を進めていた。

さらに勝利の要因として、FE名古屋の3pシュートの成功率が高かったのもある。木村をはじめとしたガード陣のアタックがあって、相手のディフェンスに目を向かせてから、シューターにオープンのシチュエーションを作るようにしていた。それが功を奏し、5選手が2桁得点を挙げる結果となった。

また、アシスト数にも注目したい。シューターに対してのラストパスはガードのドライブから展開され、木村がほぼその役目を担った。よって木村のアシストは11を数えて、勝利の立役者となっていたのだ。

試合終わり記者会見での川辺泰三HCⒸマンティー・チダ

Ⓒマンティー・チダ


川辺HCは試合後の記者会見で「僕たちもやりたいことをやらせてもらえなかったですし、課題も見つかりました」と語る。そして、今は「すごく大事な時期」と強調した。

「ホーム開幕2戦目で負けてしまい、まだまだチームビルドの時期ですが、一回負けてしまうと不安になる選手もいる中でチームルールの徹底とかが揺らいでいた。今は、一度チームとして上がっていたものが崩れて、再度チームになろうとしているすごく大事な時期。今日は結果を大事にチームとして勝つこと。俺たちのバスケットは合っているよと、自分たちも信じてオフェンスもディフェンスもやりたいということを貫きたくて、今日は何よりも勝ちを優先した構成で戦いました」

チームとしてどう戦うのか、川辺は指揮官になってもその姿勢は変わらなかった。

「選手時代の師匠は炎さん、引退してからは渡邊前HC。でもディフェンスは炎さんに近いかな。手応えとしては50%。コートサイドに立って指示を送るのは慣れていないので、まだまだ緊張している」

そう語りながらも、コートサイドからは選手たちにディフェンスの細かい指示を何度も送っていた。

現役時代は抜群の勝負強さを発揮してチームのピンチを何度も救い、試合に出られない苦労も味わった。そして、今度はチームをビルディングする指揮官としてコートに戻ってきた。

B2リーグは一足先に、9月20日に信州と広島の対戦で開幕し、B2のチャンピオンを目指すとともに、B1昇格への戦いが始まっている。

果たして彼の想いはコートで表現できるのか、それはシーズンが終わった時に答えが出るだろう。

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