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勇退する星稜・林和成監督が残した「功績」と潮目変わった「事件」

2022 1/24 06:00柏原誠
甲子園球場Ⓒtak36lll/Shutterstock.com
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Ⓒtak36lll/Shutterstock.com

3月末で退任、出場濃厚のセンバツが花道

「第94回選抜高校野球大会」の選考委員会が28日に開かれる。昨秋、北信越大会で準優勝した星稜(石川)も順当なら選ばれる可能性が高い。3月末での退任が決まっている林和成監督(46)の最後の花道となるだけに、大会注目校の1つになりそうだ。

「10年を一区切りに」と就任当初から決めていたという林監督。11年4月に就任し、今センバツ出場がかなえば春4度目、夏5度の計9度の甲子園出場と、文句のつけようのない戦績を残した。

19年夏には奥川恭伸(ヤクルト)を擁して準優勝したのも記憶に新しい。プロにも毎年のように選手を輩出。名将・山下智茂が築いた伝統の上に、時代に合った指導をプラス。「北信越の雄」の域を超え、全国に名だたる強豪へと駆け上がっていただけに、退任は惜しまれる。

2019年センバツの習志野戦で…

潮目が変わったのは19年の春のセンバツだった。初戦の履正社(大阪)との優勝候補対決に快勝。2回戦の習志野(千葉)戦で“事件”は起こった。試合前から相手のサイン盗みを執ように警戒。試合中も何度かプレーを止め、審判にチェックを促した。

奥川、山瀬慎之助(巨人)のバッテリーはリズムを崩し、1-3で敗れる結果になった。取材を終えると林監督は習志野側の取材ルームに向かい、小林徹監督に直接抗議。目の前での暴挙にメディアも騒然。その後、無断で週刊誌の取材を受けたことなども重なり、約2カ月の指導自粛という「処分」を受けた。

学校法人側は一連の騒動を、厳しい目で見ていた。毎日のように苦情の電話が鳴り、林監督の立場は危うくなっていく。監督交代が俎上(そじょう)に上がるのは自然だった。

選手からの求めもあり、予定通りの6月に指導復帰。夏の甲子園での快進撃で手腕を見直されたが、周辺の話によると、拭いきれないしこりは残されていたようだ。高校スポーツらしからぬ騒動のマイナスインパクトは大きかった。

奥川恭伸を守った選手ファーストの信念

ただ、これからは林監督が残した「功績」の方が注目されていくだろう。そもそも、選手ファーストを地でいく指導者である。印象的なエピソードがある。

奥川が1年時のこと。他校に練習試合に赴いた際、奥川が頭部への死球を与えた。救急車が呼ばれ、相手側の保護者も激怒するなど騒然とする中、入学間もない奥川は帽子を取ったまま呆然とするばかり。投手にとっての頭部死球は心の傷になる。

林監督はベンチを出て、相手サイドに謝罪。「グラウンドで起きたことなので」というニュアンスで、毅然とした態度で外野の興奮を鎮めた。将来ある選手を守りたい一心だった。選手思いを示す話は枚挙にいとまがない。

林監督自身が習志野戦をきっかけに注目させたフェアプレーの精神は、今も高校野球のみならずプロ野球でも強く意識されるようになった。長い歴史の分だけ不文律やグレーゾーンが多い野球界に、大きな一石を投じたことは間違いない。

コロナ対策もあって甲子園も形を変えながらの開催となるが、グラウンドで繰り広げられる野球は令和の時代にどう変わっていくか。林監督にとっては星稜のユニフォームで最後の舞台になる。信念に基づいて築き上げた星稜野球の神髄を、余すことなく見せてほしい。

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