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甲子園でサイクルヒットを達成した高校野球の「7人の侍」

2021 8/22 06:00SPAIA編集部
甲子園球場,ⒸKPG_Payless/Shutterstock.com
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ⒸKPG_Payless/Shutterstock.com

「打高投低」の高校野球、本塁打が増えてもサイクルは…

高校野球で「打高投低」が顕著になったのは1974年の金属バット導入以降だ。徳島・池田の「やまびこ打線」が猛威を振るい、PL学園・清原和博の放つ本塁打はファンの度肝を抜いた。

その後、甲子園のラッキーゾーンが撤去され、金属バットの反発力の見直し、飛ばないボールの採用などがあったにもかかわらず、本塁打数が減る気配はない。高校生でもウェイトトレーニングは当たり前のように取り組むようになり、パワー野球でないと勝ち抜けないのが現状だ。

ノーヒットノーランが2004年センバツの東北・ダルビッシュ有以来、一度も達成されていないのは、その裏返しだろう。投手の球威や変化球も向上しているものの、それ以上に打者のパワーが勝っている。最近は甲子園が狭く感じられるほどだ。

ただ、それでもなかなか達成できない記録がある。単打、二塁打、三塁打、本塁打を1試合で記録する「サイクルヒット」だ。

パワーだけでなく、三塁打を打つには俊足も必要で、当然ながら運の要素もある。長い甲子園の歴史で春夏合わせても7人しか達成していない。

箕島・北野敏史はセンバツ唯一のサイクルヒット

史上初のサイクルヒットは1949年夏。平安(現龍谷大平安)・杉山慎二郎が1回戦の盛岡戦で記録した。平安は18-7で大勝したが、2回戦で柳井に敗退。杉山は日大を経て、プロ野球の大映入りしている。

2人目は1975年夏、土佐の2年生だった玉川寿が初戦の京都・桂戦で記録。3回に2ランを放つと、第3打席で三塁打、第4打席で二塁打、第5打席でシングルヒットを放ち、試合にも快勝した。土佐は続く上尾戦に3-4で敗れたが、玉川は翌春センバツにも出場してベスト8。卒業後は慶応義塾大、日本石油でプレーした。

3人目は1979年センバツの箕島・北野敏史。エース牛島和彦と「ドカベン」香川伸行のいた浪商との決勝で記録した。箕島は8-7で大熱戦を制して優勝。同年夏も制して春夏連覇を達成した。北野は卒業後、松下電器でプレー。センバツでは唯一のサイクル安打となっている。

4人目は1991年夏に初出場した大阪桐蔭・沢村通。秋田との3回戦、2点を追う9回2死から同点の足掛かりとなる三塁打、延長11回に決勝ソロという価値あるサイクルヒットだった。勢いに乗った大阪桐蔭はその後も勝ち進み、決勝で沖縄水産を破って初出場初優勝。沢村は卒業後、近大工学部を中退して新日鉄君津でプレーした。

明徳義塾・藤本敏也はまさかの逆転サヨナラ負け

5人目は1998年夏、明徳義塾の藤本敏也が準決勝の横浜戦で記録した。前日にPL学園との死闘で延長17回を完投していたエース松坂大輔は先発せず、袴塚健次、斉藤弘樹の2年生投手2人からサイクルを達成。ただ、試合は8回表まで6点リードしていたにもかかわらず、9回表に松坂が登板すると甲子園の雰囲気がガラリと変わり、その裏にまさかの逆転サヨナラ負け。サイクルヒットを記録した打者で唯一の敗戦となった。

6人目は駒大苫小牧の2年生・林裕也。2004年夏の準々決勝・横浜戦で、同年ドラフト1位で西武入りする涌井秀章から記録した。その後も勝ち進んだ駒大苫小牧は北海道勢初優勝。さらに林が3年生となった翌2005年夏も田中将大を擁して全国2連覇を果たした。卒業後は駒大、東芝でプレーした。

7人目は敦賀気比・杉田翔太郎。2019年夏2回戦の国学院久我山戦、サイクルに王手をかけた第5打席はレフトフライに終わったが、9回の第6打席に本塁打を放ち、偉業を達成した。この試合で7打点を挙げ、チームも19-3で大勝。続く3回戦で仙台育英に敗れたが、甲子園に強いインパクトを残した。卒業後は大阪学院大に進んでいる。

振り返ってみると、箕島・北野敏史、大阪桐蔭・沢村通、駒大苫小牧・林裕也は優勝している。7人中3人が全国制覇していることも記録の価値を高めていると言えるだろう。サイクルヒットは個人記録とはいえ、チームに与える影響も大きいのだ。8人目はいつ、誰が達成するだろうか。楽しみに待ちたい。

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