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男子マラソンで人類初の「2時間の壁」突破も世界記録は非公認の理由

2019 10/15 13:01田村崇仁
2時間切りを達成したキプチョゲⒸゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

1時間59分40秒、月面着陸と並ぶ快挙?

人類初の月面着陸に成功したニール・アームストロング船長やエベレストに初登頂した登山家のエドモンド・ヒラリーに並ぶ歴史的な快挙-。

男子マラソンで2時間1分39秒の世界記録を持つ34歳の2016年リオデジャネイロ五輪金メダリスト、エリウド・キプチョゲ(ケニア)が10月12日、オーストリアのウィーンで行われた特別レースで、フルマラソン史上初の「サブ2(2時間切り)」を達成し、海外メディアを含めて世界各国から称賛の声が相次いだ。元米大統領のオバマ氏も祝福のコメントを寄せるフィーバーぶりだった。

人類の限界説が根強かった「2時間の壁」を突破し、1時間59分40秒でゴール。「まるで月から地球に帰還したような気持ちだ。人間に限界はないと証明できた。歴史的な瞬間だった」とゴール後は沿道の観衆とハイタッチして本人も興奮を隠せなかったが、国際陸連の非公認レースのため世界記録には認定されなかった。その理由とは―。

20億円イベント、41人のペースメーカー

英国の億万長者として知られるジム・ラトクリフ氏がオーナーの石油化学企業イネオス社が1500万ポンド(約20億円)を投じたといわれる今回のイベントは「イネオス 1:59チャレンジ」と題され、あくまで目的は「2時間切り」だった。

41人のペースメーカーが交代でローテーションを組んで走り、キプチョゲの周囲で常に7人がX字型の特殊なフォーメーションの隊列を組んで「風よけ」にもなったレース。ペーサーは第1~第9グループまで準備され、男子1万メートル日本記録保持者の村山紘太(旭化成)を含む世界の五輪金メダリストのトップ選手が参加してサポートした。

さらにその前を走る車がペースを示す緑のレーザーを道路上に当てて機械的にペースを設定。自転車から飲み物やエネルギージェルを受け取るなど計算され尽くした特殊なサポートも受けながら、沿道からの声援を背に1キロ2分50秒のペースをほぼ乱すことなく走り切った。

追い風や下り坂続けば1時間55分可能?

キプチョゲは2年前、イタリアのモンツァでのF1サーキットで初めて2時間切りに挑んだものの、25秒及ばなかった。この時は米スポーツ用品メーカー、ナイキのプロジェクトの一環だった。

今回も全てのランナーがナイキの厚底シューズを履き「不可能を可能にする」という特別レースを成功させた形だが、スポーツとしての公平性を疑問視される特殊なサポートは国際陸上競技連盟の競技ルールでは許されておらず、今回の偉業は記録として非公認で賛否も呼んでいる。

陸上男子400メートル障害の日本記録保持者、為末大氏は自身のツイッターで「非公認でよければ、マラソンは追い風参考などの風の制限がないから、後ろから風を吹かせる車で10メートルぐらい吹かせて追いかけさせれば1時間55分ぐらい出せると思う」と指摘。大型扇風機を後方から吹かせて走ったり、下り坂一辺倒のコースで挑戦させたりすれば、さらにタイムは伸びていくだろう。ただその価値はより不透明なものだ。

90%フラット、時速21キロ超

今回のレースは木々に囲まれた90%フラットな周回コースで、気温10度前後と涼しい午前8時すぎにスタート。キプチョゲは序盤から驚異的なペースで1キロ2分48秒と2分52秒の間で走り続け、正確なピッチでプロジェクトの「目標」を達成した。

特別レースの公式ツイッターによると、最初の5キロを14分10秒で走りだし、その後もペースメーカーに導かれて正確なラップを刻んだ。

ラップタイムⒸSPAIA

ⒸSPAIA


5キロごとのラップは14分10~14秒の間で、終盤の35~40キロも14分13秒。残りの2.195キロは6分4秒。最後まで余力を持ってペースを落とさず、40キロすぎに記録達成を確信すると、沿道の観衆に人さし指で「1」を示す歓喜のポーズをつくって歴史的な瞬間の喜びを共有した。時速21.1キロで100メートルを422回にわたり平均17.08秒で最後まで走った計算だ。

東京五輪で2連覇も目標

一大プロジェクトで世界に名をとどろかせたキプチョゲ。もちろん彼の実績と底力がなければ実現不可能だっただろう。次の目標はどこに置くのか。酷暑の中で耐久レースが予想される来年の東京五輪のマラソンでの2連覇は現実的な目標だ。

今秋のベルリン・マラソンで世界歴代2位の2時間1分41秒をマークして優勝した男子5000メートル、1万メートルの世界記録保持者、ケネニサ・ベケレ(エチオピア)との対決も東京五輪で実現すれば楽しみになる。ともにトラック出身でスパートの切れ味と勝負強さは折り紙付き。人類最速ランナーの称号を求め、ケニアが生んだ新たなトップスターは今後も進化の歩みを止めるつもりはない。

エリウド・キプチョゲ(ケニア)2016年リオデジャネイロ五輪男子マラソンで金メダルに輝き、2018年9月のベルリン・マラソンで2時間1分39秒の世界新記録を打ち立てた。トラック種目では男子5000メートルで2003年世界選手権を制し、2004年アテネ五輪3位、2008年北京五輪2位とメダルを獲得している。34歳。