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陸上短距離の女王・福島千里が引退、歴代10傑独占した驚異の足跡

2022 2/4 11:00鰐淵恭市
福島千里,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

100メートルで0秒15、200メートルで0秒45も日本記録を更新

長らく陸上日本女子短距離界を引っ張って来た福島千里(セイコー)が現役を退いた。100メートルと200メートルで日本記録を更新すること計7度。それまで日本が五輪や世界選手権といった世界大会で勝負できなかった女子短距離で、世界との差を一気に縮めた。日本スプリント界を駆け抜けた33才の足跡を振り返る。

北海道・帯広南商高校時代にはインターハイのチャンピオンになれず、同世代のスプリンターの影に隠れた存在だった福島。高卒後に北海道ハイテクACに進み、中村宏行代表の指導のもとで持ち味のピッチ走方に磨きをかけ、頭角を現した。

世に知られたのが、2008年4月の織田記念。100メートルで11秒36の日本タイ記録(当時)をマークした走りだった。

次の表は100メートルと200メートルで福島がマークした日本記録の変遷である。

福島千里が更新した日本記録の変遷


100メートルでは11秒21の記録を持つが、従来の日本記録を0秒15縮めている。200メートルは22秒88で、こちらも0秒45も日本記録を縮めている。100分の1秒を争う短距離でこれだけ縮めることができたのが、福島のすごさの表れである。

特に2009年、10年は条件さえよければ、いつでも日本記録を更新しそうな「すごみ」があった。ちなみに100メートルの歴代2位は高橋萌木子の11秒32でその差0秒11、200メートルの歴代2位も高橋の23秒15でその差0秒27。ぶっちぎりの日本記録である。

北京五輪で56年ぶり、大邱世界選手権では79年ぶりの快挙

福島の功績は記録だけではない。世界大会での福島は「○年ぶり」「日本初」という言葉で形容されることが多かった。福島の走る後に歴史が作られていった。

次の表は福島の世界大会の成績である。

福島千里の世界大会での成績


世界大会のデビューとなった2008年北京五輪は、女子100メートルで日本選手が五輪に出場するのは56年ぶりだった。

1次予選から2次予選、準決勝、決勝と進んでいく方式から、予選、準決勝、決勝へと方式が変わった2011年大邱世界選手権では(200メートルは2009年ベルリン世界選手権から)、100メートルで準決勝に進んだ。

この種目で日本選手が世界選手権で準決勝に進むのは初めてのことだった。五輪を含めると、79年ぶりの快挙だった。この大会では200メートルでも準決勝進出したが、こちらは五輪、世界選手権を通じて日本女子初だった。

最後に、日本歴代10傑という場合は、それぞれの選手のベスト記録の日本歴代上位10位を言う。つまり、1選手につき一つの記録となる。

それとは別に日本歴代パフォーマンス10傑というのがある。これは1選手1記録でつくる通常の歴代10傑とは違い、日本選手がマークした記録の歴代上位10位までのことを言う。女子100メートルの日本歴代パフォーマンス10傑が下の表だ。

女子100メートル日本歴代パフォーマンス10傑


ご覧いただければ分かるとおり、11秒21から11秒27まで、すべて福島の記録である。福島は唯一無二の存在だったのである。

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